弓削道鏡 (ユゲノドウキョウ)
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奈良時代末の僧で,俗姓弓削氏。河内国(大阪府)志紀郡の人。はじめ葛城山にこもって苦行修道し,梵学と禅定をもって聞えた。下山して東大寺に住み,さらに内道場に入った。761年(天平宝字5)孝謙女帝の病をなおして寵をうけ,一躍政界に進出した。764年(天平宝字8)恵美押勝は乱を起こして失脚し,譲位していた女帝が重祚して称徳天皇になると,道鏡は仏教政治を展開し,765年(天平神護元)太政大臣禅師,翌年法王となり,月料は供御に準ぜられた。道鏡と女帝との関係は単なる寵臣以上のものがあったようで,ここから道鏡を即位させようとする事態に発展した。この計画は藤原百川らを中心とする律令貴族の妨害と,和気清麻呂の儒教的倫理観によって失敗した。770年(宝亀元)女帝が死ぬと,道鏡は本県の南河内町にある下野薬師寺別当として配流され,772年(宝亀3)にここで没した。配流後の行動については全く不明であり,龍興寺境内に道鏡塚と伝える墓があるが,真偽のほどはわからない。