那須資胤 (ナススケタネ)
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戦国時代の末期、烏山城主として活躍した武将。那須氏第20代当主。那須政資の次男。資房の孫、母は大田原資清の娘。高資は異母兄。もと森田城主であったが、千本城の変による兄高資の死によって家督を継ぎ烏山城主となる。1560(永録3)年、小田倉の戦いで、自身も負傷する程の苦戦を強いられた。これが原因で上那須の諸将が離反し、常陸の佐竹氏に走った。ここに那須氏最大の危機を迎えたが、資胤は家臣団の統制を強化し、神長治部内山の戦い、烏山川原表の合戦・大崖山の戦いなど、佐竹・宇都宮・上那須の連合軍を撃破した。また、積極的に佐竹領に進攻してその勢力拡大を図った。その後、上那須の諸将と和睦し再び那須郡に君臨した。なお、資胤は烏山地方に疫病が大流行したため、牛頭天王を大桶から烏山に移し勧請した。その祭りの余興として「山」を奉納したが、それが今日まで続き「山あげ祭」となっている。