那須資房 (ナススケフサ)
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戦国時代烏山城主として活躍した武将。父は那須資実、母は那須明資の娘。
応永年間に那須氏は分裂して上那須氏(福原城主)と下那須氏(烏山城主)とになったが、資房の時に上下那須氏は100年ぶりに統一した。
その動機となったのは、上那須氏の家臣大田原氏の策謀による上那須氏の滅亡である。
資房は適切な判断によって家臣団を統制し、上下の庄を統一して戦国大名としての基礎を強固なものとした。資房時代の主な合戦は、1520(永正17)年の山田城攻め・繩釣台の戦い(結城義永と岩城常隆の連合軍が那須に侵入し、山田城と繩釣台の二か所で那須郡の諸将と戦い敗れて退去したもの)、翌年の上川井城篭城戦がある。その後、岩城常隆と和睦成り、その娘を資房の息子政資の室とした。
のちに家督を政資に譲り隠居したが、子の政資や孫の高資よりも長生きし、もう一人の孫の那須資胤が当主になったのちに没した。