芳賀高名 (ハガタカナ)
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住所 | 栃木県宇都宮市 |
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1290~1372年(正応3~文中元・応安5)鎌倉末から南北朝期にかけての武将。芳賀高久の子。左兵衛尉。法名禅可。
1337年(延元2)奥州の北畠顕家の西上に際して、高名は、宇都宮公綱の嫡子加賀寿丸(氏綱)を奉じて宇都宮城に籠城し、顕家軍と戦うが、敗れて一旦は降伏。
顕家軍が再度西上を開始するや、再び高名は北朝軍に加わり、顕家軍と交戦。夏に、観応の擾乱が大詰をむかえた1351年(正平6)12月、足利尊氏が弟直義と駿河薩た山で戦った際、尊氏を救援する宇都宮公綱の摩下に属し、軍功を遂げ、翌年正月尊氏より従五位下、越後の守護職に補任された。しかし、鎌倉公方足利基氏の謀略により、1362年(正平17)越後守護職を山内上杉氏の祖憲顕に奪われた。そのため、高名は越後で上杉氏と戦ったり、武蔵で足利基氏と戦ったりしたが敗れ失意のうちに死去。