鯉沼九八郎 (コイヌマクハチロウ)
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1852~1924(嘉永5~大正13)年。加波山事件の首謀者・政治家。1852(嘉永5)年、稲葉村(現下都賀郡壬生町)の豪農に生まれ、15歳の時、商業を志し栃木町(現栃木市)で麻問屋を営み、ついで染色・製茶・製革・製糸・石鹸製造などに手を出したが、いずれも失敗。その後、自由民権運動に共鳴し1882(明治15)年、栃木自由党の結成に際し率先入党。
たちまち急進派の先峰となる。党勢拡張のため、新井章吾・塩田奥造らと自由運動会を立案。
1881(明治14)年の福島事件後、自由民権運動の実力行使を主張するようになり、福島事件の弾圧者三島通庸が、
本県県令として赴任するや、ひそかに三島暗殺を画策した。
福島事件め指導者河野広中の甥河野広躰の訪問を機会に福島自由党の急進派グループと提携した。
機会を伺ううち宇都宮における県庁落成式に政府高官の来宇が伝えられたので、同志と共に襲撃計画を立案。
襲撃には爆裂弾を使用することになり、1884(明治17)年9月10日、自宅でひそかに爆弾を製造中、
誤って暴発して右腕を吹き飛ばす重傷を負った。
この事件が引き金となり加波山事件が起こり九八郎も連累者として捕縛され北海道空知刑務所で服役。
1893(明治26)年に出獄。その後、1899(明治32)年に県会議員となり「加波山将軍」の異名をとり県議会で活躍した。現在、壬生町大字上稲葉には鯉沼九八郎翁の碑がある。