船田兵吾 (フナダヒョウゴ)
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住所 | 栃木県足利市上渋垂町 |
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1868~1924年(明治元~大正13)作新学院の創立者。足利郡御厨村(現・足利市)生まれ。赤城神社の神官であった祖父義政の影響で幼時から『論語』などを学ぶ。
17歳で宇都宮へ出、池上町の私塾へ入学。入物を見込まれて塾をまかされ、翌1885年(明治18)渡辺陳平ら同学の士とはかって下野英学校(後の下野中学校、作新学院の前身)を興す。
以来官尊民卑の明治大正期、私学の経営と子弟の教育に心血を注いだ。なお栃木県立盲学校創立者の一人。顎に美鬚を蓄え謹厳な風貌であったが、厳格な教育のなかにも慈愛深く多くの卒業生から敬愛された。長男中、2男享二、3男泉介(藤枝姓)はともに国務大臣となり、世に“船田3兄弟”と称えられた。小常は長女。
大正13年12月11日死去。57歳。