野口雨情 (ノグチウジョウ)
詳細
住所 | 栃木県宇都宮市 |
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照会先 | 北茨城市歴史民俗資料館野口雨情記念館 野口雨情生家資料館 |
照会先電話番号 | 0293-43-4160 0293-42-1891 |
ホームページURL | http://www.ujokinenkan.jp/ |
1882~1945(明治15~昭和20)年本名野口英吉。「七つの子」や「しゃぼん玉」などの作品で知られる童謡詩人。茨城県北茨城市磯原町で生まれた。生家は水戸光圀が観海亭と名づけ愛用した別荘であったのを野口家へ広大な山林とともに下賜されたもので茨城県文化財。野口家は遠く楠氏の流れを汲んだ家柄であったからである。雨情は1897(明治30)年東京順天求合舎(現順天中学校)を経て1901(明治34)年東京専門学校(現早稲田大学)に入学した。坪内逍遙に師事し深い影響を受けている。日本の詩は民衆の声から生れた民謡童謡が基であるとして、その復活と創作普及に生涯を賭ける。1905(明治38)年処女詩集(枯草)を出版したが、新体詩から口語定型詩へ移行した日本最初の民謡集である。今日なお歌われている名作の作詩と共に普及に努めつつ、これを社会教育活動として全国に足跡を遺した偉業は衆知のとおりである。東京の戦火を避け1944(昭和19)年1月19日の深夜、蓮田喜一の世話で宇都市鶴田の羽黒山麓に求めた疎開地へ移ったが、既に1943(昭和18)年2月からの病が快復することなく翌年1月27日に永眠。僅か1年の居住であったが終焉の縁をもつ宇都宮市の有志は1958(昭和33)年名作(あの町この町)の童謡詩碑を、を雨情旧居附近に建立。雨情の人柄、作詩をとおして市民の情操教育に資することを目的に宇都宮雨情会を1960(昭和35)年に創立。1966(昭和41)年に、「詩人野口雨情ここにて眠る」の記念碑が建てられた。また昭和55年、黒磯ロータリークラブにより黒磯公園内に詩碑が建てられた。「こんこんお啼き那須の原のこんこんきつね」さらに、1982(昭和57)年には、羽黒山頂に(蜀黍畑)の歌碑が建てられた。