野木宮合戦 (ノギノミヤカッセン)
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詳細
住所 | 栃木県下都賀郡野木町 |
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照会先 | 野木神社 |
照会先電話番号 | 0280-55-0208 |
治承・寿永の内乱前半、1183(寿永2)年2月に源頼朝方の小山朝政と志田義広とが下野野木宮付近で戦った合戦をいう。志田義広は源義朝の弟(為義の三男)で、頼朝の伯父にあたり、常陸国南部の信太郡信太庄に土着して勢力を振い、頼朝の挙兵時にも参加せず、「自主の志」を持っていた武将である。富士川の戦い後、頼朝の勢力が拡大する中で、危機感を感じた義広は頼朝打倒をめざし、足利庄の藤姓足利又太郎忠綱と同盟して下野に進出。義広は頼朝打倒を下野の豪族小山朝政に告げ、味方に引き入れようとしたが、偽って義広に従うと見せかけた小山朝政の謀略にかかり、野木宮に誘い出される途中、登々呂木沢や地獄谷で朝政軍の奇襲攻撃を受け、破れて敗走。この戦いに、下野では、小野寺通綱や宇都宮所信房などが朝政軍に加わり奮戦。また足利(戸矢子)有綱・佐野基綱・阿曽沼広綱・木村信綱らも義広軍と下総の小提や小手指原で戦った。
小山朝政と志田義広の間で戦われた野木宮合戦の舞台となったのが野木神社である。