丸山瓦全 (マルヤマガゼン)
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詳細
住所 | 栃木県足利市 |
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1874~1951(明治7~昭和26)本県考古学の先駆者。足利市通5丁目に老舗油屋を営む丸山源八の長男として生まれ、幼名を太一郎、後に源八を襲名し、瓦全と号した。
宇都宮中学校(現宇都宮高校)に入学したが、星亨・横堀三子の政争の渦中に入り中退し足利に帰る。1897年(明治30)結婚したが、単身上京して川上音次郎一座に加わり俳優を志したが望みを中断。28歳のころから考古学研究に専心し、家族を忘れての自由奔放な生活に終止符をうつ。
瓦全は本県の文化財の発見と保護に東奔西走し、特に佐野市竜江院所蔵のエラスムス像を発見してオランダ流出を防止したり、塩谷町佐貫石仏・宇都宮市大谷磨崖仏などの国指定、日光杉並木・足利学校の保存に貢献する。県史跡名勝天然記念物調査員、文部省史跡名勝天然記念物保存協会員として活躍し、第1回本県文化功労者に選ばれる。日光宝物館からの帰途、不慮の事故にあって78歳の生涯を閉じた。