武茂城 (ムモジョウ)
map
詳細
住所 |
〒 324-0613 栃木県那須郡那珂川町馬頭 |
---|---|
照会先 | 乾徳寺 |
照会先電話番号 | 0287-92-2247 |
ホームページURL | http://www.kentokuji.com/ |
馬頭町(現那珂川町)馬頭にある山城。
正応年間(1288~1293)または永仁年間(1293~1299)に、宇都宮景綱の3男泰宗が築城して武茂氏を姓とした。泰宗は武茂庄を領有していた。
これ以来持綱にいたるまで居城していたが、応永年間(1394~1428)に持綱が宇都宮に入り本家を相続したので、武茂氏は一時中絶し城主がいなかった。廃城同様の武茂城は、1506(永正3)年持綱の曽孫正綱が武茂太郎と称して再興した。しかし、正綱は宇都宮明綱の早世によって本家を継ぐことになり、代わって3男兼綱が武茂氏を相続して1万石の領主となった。その後、兼綱は常陸の佐竹義重と交戦し敗れたためその配下となった。1567(永禄10)年兼綱の子守綱は、那須軍と戦い、1573(天正元)年には佐竹軍が那須軍を攻めたこともある。このように武茂氏は宇都宮一族であるために、常に那須軍と干戈を交えていた。守綱の子豊綱の代に、那須資晴と内通しているとの風聞によって、佐竹義重は武茂城を掌中に収め、太田五郎左衛門に守らせた。1600(慶長5)年佐竹義宜が石田三成と組して関ヶ原の戦いで敗れると、佐竹氏は1602(慶長7)年秋田へ移封され、これに伴って武茂城は廃城となった。城跡のふもとに武茂氏の菩提寺乾徳寺がある。