三田称平 (ミタショウヘイ)

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住所 栃木県大田原市前田

1812~1893年(文化9~明治26)江戸時代・明治前期の政治家、学者、教育者である。下野国黒羽藩の下級武士秋庭助右衛門清房の子として生まれ、のち三田家の養子となる。
1831年(天保2)江戸勤番を命ぜられ、安積民斎の門に入り1835年(天保6)には大塩平八郎の門人となって陽明学を学ぶ。1855年(安政2)下の庄(益子)の郷奉行になり益子焼の発展に貢献した。
幕末の危機にあって幕政と合わず政治の面より後退、学頭として学問、教育の分野で幕政に対応の姿勢をとった。王政復古後、称平は自己の立場を開陳し戊辰戦争、つづく維新政府成立にあたっては公議人、衆議院議員として新政府に期待をかけた。しかし衆議院の形式化、維新政府内の政治家への矛盾は再び彼を裏切り1870年(明治3)一切の官職を辞退して黒羽に帰った。その後作新館支那学教授として、自由人の立場から自己の意見を発表した。
民権運動期には黒羽出身荒川高俊のブレーン的立場で「黒羽親睦会」を組織し活躍した。1890年(明治23)帝国議会成立後はすべてに沈黙し、1893年(明治26)82歳の生涯をおえた。

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