菅谷八郎右衛門 (スガヤハチロウエモン)

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住所

1783~1852(天明3~嘉永5)年烏山藩の家老。烏山藩の出身ではなく、三河刈谷藩の藩士の出身である。
1833(天保4)年打ちこわしが起こったききんに続き、同7年の冷害凶作のききんに、烏山47村(1万人)は餓死寸前であった。
国家老菅谷は天性寺の円応と謀り、桜町の二宮尊徳に懇願し、米・稗1648俵を得、同寺門前の12棟の救小屋に879人を収容し、12月より翌年5月まで延11万人を餓死より救った。これを機に、尊徳の報徳仕法によって、借財3万両の藩の財政を立直そうとした。尊徳に依頼した「為政鑑」を基として、税収入10年平均9320俵を分度とし、荒地開発による増収を図った。自分の全俸禄を報徳金に投入して範を示し、感動した藩士242人、領民1260人が続き、金108両、米200俵を仕法金に差し出した。開発が進み224haを開発し、分度外1500俵を増収し成果を上げた。相模の藩領厚木(1万石)にも、この仕法実施に赴いたが、流行病に円応は病死(52歳)し、菅谷は回復した。1840(天保11)年に報徳仕法が中絶し、菅谷は領外追放となる。尊徳の助言により翌年家老に復したが、仕法の進展は意の如くならず、心身共に弱り嘉永5年に没し、天性寺に葬られた。

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