南河内町 (ミナミカワチマチ)

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詳細

住所 〒 329-0492
栃木県下野市小金井1127
照会先 下野市役所
照会先電話番号 0285-40-5551
ホームページURL http://www.city.shimotsuke.lg.jp/

河内郡の町。関東平野の北部、本県では南東部に位置し、県都宇都宮市の南東22㎞、小山市の北東13㎞、海抜63mから42mの位置にあって、東西6.6㎞、南北7.6㎞の平坦な町である。
町の東端に鬼怒川が南流し、中央部を田川が貫流している。その流域は、沖積層の肥沃な土壌で古くから水田が開かれていた。また西部一帯は、関東ロームの台地であり、畑地が多く、一部は平地林にもなっている。昭和30年4月29日、薬師寺村と、吉田村が合併し、河内郡の南端に位置していることに因んで南河内村として発足している。
薬師寺村には、白鳳文化のおこった奈良時代に、天武天皇が大和と、下野の当地に皇后の病気平癒を祈願して、680年(白鳳8)に薬師寺を建立したと伝えられている。
現在も薬師寺跡地には、六角堂と礎石が国の重要文化財として指定されている。その他跡地附近には、鑑真和尚の墓、道鏡塚等史跡が数多い。吉田村も、鎌倉時代以前から開けていたところで、三王山古墳群、百体観音等文化財、史跡も数多い。昭和46年4月1日町制施行により今日の南河内町が誕生した。
本町の西端を国道4号線および東北本線、東北新幹線が平行して走り、また近年町の中央やや西寄りを新4号国道が従貫するにいたり交通は至便となりつつある。
昭和47年4月東北本線東側に自治医科大学が開校し、昭和49年4月からは東洋一の設備を誇る附属病院が開院された。
さらに日本住宅公団による開発事業の進展と共に緑住都市として急速に発展しつつある。また自治医科大学設置に伴う教職員の転入と、西坪山工業団地の工場操業、さらに隣接市町村立地企業従業員の転入により、2~3次産業従事者と、農家の混住社会の方向を示しつつある。産業の主なものは農業であるが、近年兼業化が進み、専業農家は、農家全数の約9%120戸である。農産物の主なるものは米であるが、最近は畜産物、そ菜の生産が伸び、旧来からの特産物である干ぴょう、ほうれん草、たまねぎと共にトマト、きゅうりの生産が伸びてきている。一方工場誘致等による工業製品出荷額の伸びや、消費者人口増加による商店の販売高も漸増しつつあって、町のめざす田園都市への条件が揃いつつある。面積31.42平方キロメートル、人口9674人(昭和40)、1万0515人(昭和50)、1万1461人(昭和54)。
2006年1月10日、南河内町・石橋町・国分寺町が合併により下野市になる。 
県内の平成大合併では、唯一郡域を越え栃木の中南部に位置し、都心から約85㎞圏にあり、首都圏の一端を構成している。南北約面積:15.2㎞、東西約11.5㎞で、北は県都宇宮市、南は小山市東真岡市と上三川町、西は栃木市と壬生町に接し、面積74.58平方キロメートル。
人口:平成2年(46,673人)から平成22年59,464人(速報値 )までに12,791人増加している。
産業:平成2年から平成17年までに、第1次産業は1,576人減少、第2次産業は245人減少、第3次産業は6,535人増加している。

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