鈴木武助 (スズキブスケ)

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住所

1732~1806(享保17~文化3)年近世中期黒羽藩家老。名は正長、為蝶軒と号す。
父は武助重武250石取の給人、祖父の刑部左衛門正武は青蘭と号し徂徠派の儒者であった。藩主大関増備が早世すると、幼君増輔の目代として1768(明和5)年郷方改役に就任、疲弊した領内の復興に努める。間引の悪習をやめさせる壁書を自ら描き、領内を巡村し倹約と凶作に備えて各村に郷蔵の設置を勧め、農事に関して細かな注意を与えた。特に郷蔵の設置は1783(天明3)年からの天明の大飢饉で黒羽藩内で1人も餓死者を出すことなく済んだという成功を収めている。
痛風の患ったため隠居した晩年、飢饉に備える日常の心得を示した『農喩』を著した。1798(寛政10)年致仕。幕府の寛政改革に際し松平定信に建白書を提出して意見を述べた。また蒲生君平や高山彦九郎ら勤王家とも親交があったという。

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