高橋由一 (タカハシユイチ)

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1828~1894(文政11~明治27)年。日本の近代洋画の開拓者。江戸で生まれ父は佐野藩士高橋源十郎である。少年時代から狩野派の画家に師事して日本画を学んだ。20歳を過ぎたころ、西洋の石版画などを見て洋画に興味を持ちはじめる。
1862(文久2)年幕府の藩書調所画学局に入局し、川上冬崖から洋画の指導を受けた。当時横浜に住んでいたイラストレーテッド・ロンドン・ニューズの特派員チャールス・ワーグマンを訪ねて入門、1866(慶応2)年洋画の勉強が本格化する。翌年には幕府の命を受け、日本を代表してパリの万国博覧会に油絵を出品した。維新後の1873(明治6)年に画学教場天絵楼を創設。廃校までの11年間、約150人の弟子を養成し、明治初期の優れた画家を多数輩出した。日光で後進の指導にあたった五百城文哉もそのひとりである。
1884(明治17)年に栃木県令三島通庸の依嘱を受け、三島らによって整備された栃木、福島、山形3県の新道(現国道4号線)沿いの風景画約200点を制作した。翌年、「三県道路完成記念帖」(3冊)を出版した。これは風景画約200点の中から128点選び手彩色石版画の記念帖としたもので、本県内の風景画は、野木駅・小金井駅・茂原村新道・県庁・絹川橋梁・三島村新道・塩原村新道など20点が掲載された。
1893(明治26)年にはこれまでの美術の開発に尽した功績により銀盃1個が下賜された。翌年66歳で死亡した。
代表作には「花魁」(東京芸術大学所蔵)や「鮭」(山形県美術博物館所蔵)があり重要文化財に指定されている作品もある。県内で所蔵されている作品は、西那須野町郷土資料館で油絵9点と「三島道路完成記念帖」がある。

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