藤姓足利氏 (トウセイアシカガシ)
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939(天慶2)年、平将門を討伐して下野守・鎮守府将軍となった藤原秀郷は多くの地方豪族の始祖となった。
秀郷6世渕名大夫兼行の子成行は足利郡(現足利市)の両崖山に築城して足利大夫と称し、藤姓足利氏の開祖といわれている。
それから成綱-家綱-俊綱-忠綱とつづく。特に俊綱は『吾妻鏡』によれば、
所領数千町歩におよび足利郡内の棟梁として同族の小山氏と覇を競い、「一国の両虎」といわれるほどの勢力があった。
所領の紛争に平重盛の厚意をうけ、平治の乱後にはその子忠綱とともに平家方となった。
忠綱は17歳の初陣で激流を押し渡り、宇治川の先陣の武名をあげた。
志田義広の反乱以来、反頼朝の行動のため、俊綱は近臣に暗殺され、忠綱は西海に走り自滅し、
藤姓足利氏は絶え、源姓足利氏へと権勢はかわってゆく。