北白川宮能久親王 (キタシラカワノミヤヨシヒサシンノウ)

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住所

1847~1895(弘化4~明治28)年。伏見宮邦家親王(入道善楽親王)の子。1848(嘉永元)年8月仁孝天王の御養子となり、1858(安政5)年9月に慈性法親王の附弟となり、同年10月に親王宣下、諱を能久と賜る。11月得度し、法名を公現と称し、以後、日光新宮と呼ぶ。
1864(元治元)年には一品に叙せられ、1867(慶応3)年5月24日慈性法親王の跡を受けて輪王寺宮門跡となり、天台宗を管領し、比叡・日光・東叡の三山を兼董した。しかし、1868(明治元)年4月、旧幕臣等彰義隊を組織し、22歳の宮を奉じて上野の山に立てこもった。
戦敗れて東叡山を脱出し、奥羽に潜行後恭順、伏見宮邸に謹慎。輪王寺宮廃絶。
明治5年北白川宮家をつぎ、同8年より軍務につき、近衛師団長として日清戦争に参加、28年5月旅順から台湾に向い、10月台南において病歿。49歳。国葬をもって東京豊島岡に葬られ、鎮護王院宮と諡した。
日光山においては、明治29年護王殿を造営、宮の毛髪塔を歴代法親王墓所の南に建立。さらに40年10月奉安殿を営み、新海竹太郎作の銅像原型を安置した。

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