光明院 (コウミョウイン)
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住所 | 栃木県日光市 |
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衆徒の本院四本龍寺が兵火に焼かれそのままになっていた折、24世座主に弁覚が就任した。
弁覚は高徳であって鎌倉幕府の深い帰依を受け、その支援の下に荒廃していた堂塔の復旧に意をそそぎ、ようやくにして旧観に復することができた。
1240(延応2)年にこれまでの本院であった四本龍寺とは別に新たに本院を建て四條天皇より光明院の称号を賜っている。
ここの本尊は阿弥陀三尊・不動明王・毘沙門天が安置されたという。以来代々の座主の居坊となり、皇室・幕府からの相次ぐ寄進により総山領は桓武・平城・仁明・文徳天皇の寄附66郷、外に後鳥羽天皇および源頼朝・実朝・宇都宮重綱・忠綱等の寄附・寄進にかかるもの5郷合わせて71郷となり、当時の下野国9郡のうち、都賀・寒川・河内の3郡におよんだという。
更に1308(延慶元)年には仁澄大僧正以下7代にわたる皇族を座主に迎え、37世座主慈玄が退転するまで日光山の中枢として栄えた。