鑁阿寺 (バンナジ)
詳細
住所 | 栃木県足利市家富町2220 |
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照会先 | 鑁阿寺 |
照会先電話番号 | 0284-41-2627 |
足利市家富町。真言宗。金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と称す。創建当初(鎌倉時代)は和歌山県高野山の末寺、 平家塚平家落人一族が甲冑や刀剣を埋めたという伝説が残っている 室町時代から江戸時代中期迄は京都醍醐寺の末寺、近世、奈良県長谷寺の直末であったが昭和26年5か寺を率いて独立、現在真言宗大日派の本山である。平安時代末期、八幡太郎源義家の子、源義国、その子、足利義康により堀と土塁を四方にめぐらす約1万3000坪敷地に邸宅が作られた。これが現在迄続く足利氏宅趾で大正11年、国の史蹟に指定された。鎌倉時代初期に義康の子、義兼が出家入道してこの邸宅に大日如来をまつる持佛堂即ち現在の大御堂(本堂)と鐘楼を建立した。明治41年両建造物とも国宝に指定せられ、戦後は国重要文化財に指定された。
開基足利義兼の妻は北條時子(北條政子の妹)で、その後も代々、北條家と縁組みをし、坂東武者の名門となる一方、鑁阿寺の境内に一切経堂、中御堂、多宝塔、山門、反橋(太鼓橋)、東西門、宝庫(校倉造り)の諸堂を造営して七堂伽藍とし足利家氏寺としての風格を作り、殊に尊氏の父貞氏の代には勅願寺の栄を賜わった。
これ等諸堂はいずれも県又は市の重要文化財に指定されている。義兼の子義氏は13世紀初頭に現在の堀の外に12の塔中寺院を建立、千手院を学頭所として一山12坊を統括させた。
明治維新後の廃佛毀釈により堀の外の塔中地は、千手院を除いて上地させられた。室町幕府全盛期の鑁阿寺は寺領15万石といわれ勢威をふるったが、戦国期から江戸時代には寺領は急激に減少した。初詣(正月)、節分鎧式諸行列(2月)大祭(5月、11月)を始めとして各種の祝祷、祈願を行い、未、申年の守本尊としても参詣人が多い。寺宝としては国重文の法華経、青磁の花瓶、香炉を始め、鑁(主)字懸佛、論語講義録、書画、刀剣等、中でも古文書600通(内124通、国重文)はわが国中世史の研究には欠かせない史料である。
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